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社長ブログ

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遠路はるばる長野から来訪

2024-02-20
注目
長野はきのこのメッカ
きのこと言えば長野県である。当社付近も以前は大雪の地域であるが、今はなりを潜めている。長野も傾向としてはそうである。以前はりんごのなどの果樹の裏作としてきのこが作られてきた経緯がある。その長野できのこ生産として押しも押されぬ地位を気付いたのが「ホクト」である。以前はきのこの資材メーカーであったが、何時の頃からか「生産者」になっていた。昭和時代はそのメッカで資材メーカーの一大イベント「機械展示」「栽培技術の教育」「情報交換」をテーマに各メーカーがしのぎを削っていた。

温泉地で宿泊もかねての交流である。いい時代であった。山田温泉の白鳥館だったか、よく行った印象がある。全国津々浦々から生産者が集う。栽培技術のおいて長野の花き試験場はきのこの生産のパイオニアであったような印象がある。
ホクト産業は、「ホクト会」という組織でその行事を行っていたように記憶している。当社の創業者である喜久はどういうわけか、その会の会長に籍を置いていた時期があった。
会長のこと
「ホクト会」の会長をしていた頃、といっても地元で年に何回も行われるような会ではなかったが、年ごとに開催されていたように思う。その会の中で、きのこ業界も他産業に押されて動き辛くなったりすることが起こる可能性がある。当時はつくれば売れた時代であった。その頃から、喜久は全国の生産者にたいして生産者の売上の1%でも業界に使えるお金をプールしようと呼び掛けていたらしい。長野の懇意な商社筋の話である。当時としては、奇抜すぎて誰も聞いてくれなかったことも事実のようである。今思えば、誰彼、出来ることではない発想である。

公た人物である。私も元気なときはよくけんかをしたものだが、出来ない自分を鼓舞するための手段だったように思う。勝ち目はない。それを広く受け止め、いなしてくれていたように思う。感謝である。

鳥取の生産者が全国的なきのこ関連の会で会長になりえた由縁もこのあたりにあろうか?

長野の業者さんはなにゆえに
このあたりの話は後日にしようと思います。
大手は大手なりに困る世の中になってきたということや市場といわれる「全国の中央卸売市場」に巻かれた悲哀、というような話が主であった。

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