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社長ブログ

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市場にはお世話になった

2024-02-24
平成元年はほぼ出来たものは市場出荷であった
当社は離職率は低いと思っている。他の会社の詳細は知らないからそう言えるのだが、その当時(平成元年)は大阪とローカル市場が90%後半位であった。ほとんどである。えのきが専門でそれを基幹産業とし、大阪の市場にJA経由で納品していた。「まるふね」は当社のその時代のブランドである。まるの中に当地の船岡の船をあしらった屋号的なものである。

当時のことを知っておられる古参の方もおられる。それと離職率は関係ないが、お許し下さい。

その評価は「棚持ちがいい」。これは当時としては最高級の評価である。創業の喜久は経営者でもあり、根っからの職人でもあった。えのきを作る前は、炭焼き・養鶏などにいそしみ。シイタケを作れば、「天皇賞」をいただいたこともあるようである。

しかし、そのえのきも平成元年をピークに価格が暴落の一途をたどっていった。何故か?元年を境に、生産者の技量をとわず現在のえのきと同じような真っ白なえのきが労せず出来る品種が誕生したからであった。業界としては革命である。出来たものが市場に流れ込むことになった。


恐怖を感じた
それからというもの、単価は暴落していった。こちらの努力とは全く関係なく価格が決まっていく。高値であれば決まった日量をどんどん出せばよかった。売りあげも上がった。集約された作業なので、効率もよく、粗利はよかった。

しかし、2年3年とたち、どうあがこうとも市場の単価の下落は抑えようがなく、会長と「これからは市場から離れないとやっていけなくなるかもしれなと、恐怖を感じたときでもあった。それから即座にJA経由の商売を改めたのも、会長である。決断が早い。先ず自分事として販売していく体制にした。

市場から離れる。と決断したが、市場は現金商売と一緒。10日後には決済され、現金が入ってくる。それは大きい。
離れたくても離れられない。金繰りに影響する。日銭を逃すようなものなので、1市場やめると、何でお金がないのかと後になってその怖さを実感した。


今の市場機能は大手のためにある?
30年以上かかって、世話になった市場の比率を20%以下にさせていただいた。担当の方の顔が今でも脳裏をかすめる。よき時代であった。

人口が激減し、設備や栽培技術は日増しに発展し、作れば余る世の中になり、2024年問題は別には出来ないが、流通の効率化は当時と比べれば雲泥の差である。よって供給過多は否めない。

顔の見える生産でなければ、消化できないものは市場に投入され、顔が見えないところに売らざるを得ない。当社の商品も大阪で競られて、それが山陽の市場に渡ってその近辺の消費に供されていたこともあった。SDGs処の話ではない。CO2をまき散らしなが行ったり来たり。結局は二束三文で仕切られる。

1円でも利益の世界
限界売上を超えれば、1年でも利益。そのような構図が出来るのは大手だけである。後はどれだけ出荷できるかである。

発想の転換は大事である。考え方も、やはり前向きがいい。縷々業界の残念なところを披露はしたが、ここまで活かしていただいていることも事実である。どうしていこうかなを吐露していきたいと考えております。

後日また。
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