きのこ通信
八頭町 石窯PIZZA&GELATO felice(フェリーチェ)①
八頭町出身の西川さんは、店舗販売ではなく石窯をのせたキッチンカーでピザの移動販売を2022年9月にスタート。
オープン当初より北村きのこ園のエリンギィを食材としてご利用頂いています。
主に週末、国道29号・国道53号沿いや鳥取市内のイベント会場などに出店。
レッド、ホワイト、グリーンのイタリア国旗をイメージしたビビットなカラーが目を惹くキッチンカーです。
2度 felice(フェリーチェ)さんの取材に伺いました。
というのが、1度目はお昼をすぎイベント終了直近の時間帯でしたので、人気のあまりピザは売り切れ状態。
2度目はなんとしても意気込み、「やず市場」さんでのオープンまもない時間帯にお邪魔しました。
お客様も次から次に felice(フェリーチェ)さんのピザをお目当てに来店されていらっしゃいました。
ピザを焼く西川さんも休む暇もなく、常に焼き続ける状態。
キッチンカーでの営業をスタートされて半年あまりですが、口コミでその美味しさが広まり、14:00の出店時間までに、準備したピザが売り切れることも度々あるとか。
本当に大盛況です。
日を改めてオーナーの西川さんにお話を伺いました。
西川さんは元々飲食業を経験されている方ではなく、教員として中学校で音楽の指導を22年近く務められた方です。
教員を辞め、飲食の世界へ。
いわゆる、異業種への挑戦になります。
飲食にチャレンジしてみようと思ったきっかけは教員時代にさかのぼります。
総合学習の授業の取り組みとして、地元(八頭町)の特産品を使い、生徒達の考えたものを商品化し販売することができないか、授業の一環として生徒の皆さんと取り組んだのが始まりだったそうです。
まず、地元にはどんな食材があるのか調べるところから始まり、その食材を使って商品化する為にはどのようなものだったら売れるのか、購入してもらう為には具体的にどうしたら良いのか、生徒と一緒に意見を出し合いながら考える機会に恵まれたのです。
生徒と時間をかけ調べ、案を出し合っていくうちに、八頭町には素晴らしい食材がたくさんあることに改めて自分自身も気付くことができたと西川さんはおっしゃいます。
そして、『八頭町の美味しい食材をもっと皆さんに知って欲しい!』と考えるようになったといいます。
もし、八頭町の食材を使って商品化できたらと考えていくうち「ピザだ!」と閃かれた西川さん。
ピザは和風にも洋風にもテイストを寄せることができ、そして、フルーツの里八頭町ならではのデザート風にも仕上げることができるので、八頭町の美味しい食材を活かせるのではと思いついたそうです。
飲食に挑戦する場合、どういうスタイルで営業するのが良いのかインターネットで調べていたところキッチンカーという案が浮上。
ちょうどそのタイミングで、キッチンカーでピザの販売をされている方が営業を辞められ、使用しているキッチンカーの引き取り手を募集されていることを知り、話を聞きたいという一心で西川さんは思い切って連絡をされたそうです。
快くお話を聞く機会を設けていただき、これまでの経験談や事業への想いを聞き、西川さんご自身の想いを伝えるということができたそうです。
教員として生徒達の成長を側で見守ることができ、音楽に携わりながらやりがいも感じていましたが、生徒達と一緒に地域のことを調べ、商品化に向け試行錯誤する中で、子どもたちが達成感を得ながら楽しく授業に取り組んでいたこと、そして、自分自身も新しいことにチャレンジしてみたいと心に芽生えた想いに正直に向かっていけたらと幾度となく大阪に出向かれる中で気持ちが明確になっていかれたそうです。
「仕事を辞め、事業として取り組んでいく」熱意とともにキッチンカーを譲って頂きたいと想いを届け続けた西川さん。
西川さん同様、キッチンカーを希望する方が他にも何組かいらっしゃる中で、西川さんの元へお譲りいただくことが決定したのは、問い合わせをしてから約半年後だったそうです。
石窯が装備され、いつでも営業ができるような状態でキッチンカーを譲り受けられた西川さんですが、飲食の経験がありませんでした。
なんと、キッチンカーのオーナーさんが実際に営業する様子を見て勉強してみてはと提案してくださったのです。
退職後、少しの期間西川さんは大阪に出向き、オーナーさんに同行しながらどのように準備をしたら良いか、接客はどうしたら良いか1日の流れを側で見ることができたそうです。
時にはピザを焼かせてもらうなど貴重な学びの連続だったといいます。
オーナーさんのキッチンカーは、大阪で人気があり、常連のお客様も多かったそうです。
営業自体がラストになると聞いた常連客の皆さんがキッチンカーを探して駆けつけられるほど。
名残惜しそうにピザを購入されていたそうです。
こんなにも地元の方に愛されるお店に西川さん自身もしていきたいと想いを強くされた期間でした。